HOW COLD IS A STRAWBERRY?

副題:いちご(15)の温度                                          以前住んでいた東京の友人へ送るメールの形で、学校生活中心に日々を綴る15歳のブログ。現在、京都在住。    書き始めは標準語だが、いつの間にか京都弁に変わってしまう。                        父親が娘の生活をこっそり見る気分になれる感じ。今のところ、1,200文字。

水の門

 こっこ、元気?

昨日は中学最後の水泳の試合があったよ。思えば三年間、放課後はもれなく水につかっておったのだなあ。それがもうラストレースとは不思議な気分だ。

大きい大会は去年の夏で(シーズンだからね)、そこで一応の区切りはついていたわけだけど、今日のは小学生の部も混じる”京都府学年別選手権”だって。小学生といえども、女子は発達が早いからガタイが良くてびっくり。プールサイドで待機している時なんて、気を抜くとふっとばされそうだった。

私の出場種目は1フリ(百メートルフリー)で、長距離専門だった自分にとってはアッという間の気もしたよ。夏の大会は五十メートルプールだったから、それに比べたら片道二十五メートルなんて楽なもん?そんなことも考えつつ泳ぐ。結果はよかった。自己記録も2秒縮まったよ。よし。クラブのほかのメンバーもそれぞれに頑張ったと思う。

試合の時のお楽しみの一つに保護者やOBからの差し入れがあって、いつもスゴイんだよ(今日は少なかったけど💦)。すぐお腹を満たすパンやゼリードリンクなんかが多いけど、一度なんかゴディバのクッキーが置いてあったことがあって目をむいた。元気出るよねえ。

これ、当たり前のようにむさぼってるけど、私も社会人になったら、何かの袋を下げて後輩をねぎらいに来たりするんだろうか。打ち込んだ熱意と、辛さも思い出に変えて懐かしく訪ねてみたくなるような思い。そんなものを持てたかなって、正直、今はまだちょっとわからないけど、会場を後にする時ふっとそんなことを考えた。

でも、泳ぐことはやっぱり好き。レースの時は必死だけど、ゆったりした気分で泳ぐとき頭にあるのは、泳ぐって水の門をくぐっている感じということ。なめらかに水の扉を開いては、次の場所へ体をすべりこませる。

そこにあるのは感じるものだけで何かが見えたり分かったりするわけではないけれど、いつも何かを探すような気持ちで手を向こうへと進めているよ。

こっこのやっている陸上では、それはそれは風を切り裂いている時なのか、それとも地面を蹴るリズムだったりするのか…なんだろう?でも何か”その向こうへ”という感覚はあるんじゃないかな。また今度教えて。

さて試合が終わるとこのずぶ濡れの団体はどうするか。答えは、冬でもちゃっちゃと水着の上から水分を拭き取って、上からジャージを着てそのまま帰る。体温で水着が温まってそのうち乾くねん。親が知ってびっくりしてたけど、着替えるの面倒くさいしな。通路みたいなとこしか場所ないし。そして髪はまだ濡れたまま挨拶のひとときになる。

”え~、皆のおかげで3年間頑張れました。水泳は個人競技だと思ってたけど、練習を含め様々な場面でチームメイトの存在を感じました。運動はいくらでもあるのにわざわざ水につかることを選んだ皆、水の門をこれからもくぐり続けよう!”