HOW COLD IS A STRAWBERRY?

副題:いちご(15)の温度                                          以前住んでいた東京の友人へ送るメールの形で、学校生活中心に日々を綴る15歳のブログ。現在、京都在住。    書き始めは標準語だが、いつの間にか京都弁に変わってしまう。                        父親が娘の生活をこっそり見る気分になれる感じ。今のところ、1,200文字。

電子の小瓶

こっこ、元気?

今日は悩ましい話をするね。それは友達がツイッターで知り合った男子と会おうとしているという一件。今じゃ珍しいことではない、というか普通か。中二くらいから”今度フォロワーさんと会うんだ”みたいな話がお弁当食べながら耳にはいってくる感じのことが増えてきた気がする。

聞いてみると、どうも自分が発信してることについて共感を寄せてくれる人と会う、という滑り出しが多くなってきてるんだな、今は。

でも、それって意外なようで尤もかもしれないね。数あるつぶやきの中から見つけてくれたアナタってことだよね。出会い系やコミュニティでの、プロフ見て近寄ってくるのとは違うんだよね?

自分から能動的に我が身をアピールしたことに、鼻息ひそめて反応してくるのと違うのよね。アピールに対するアピールがあって、お互い値踏みしながら会うようなハントの匂い、無いんだよね。

で、いきなり自分を全肯定のスタンスでお伺いがくるんだよ?ネットの海に捨てたと思った一言を拾いあげて寄り添ってくれるんだよ?

その拾い上げてくれる感じ、私はずっと迷子だったんだけどアナタが見つけて掬いあげてくれた、みたいなその感じって、ほら昔ビンに詰めて手紙を海に流したあれになんか似てない?

見つけてくれて、誰かから返事がきたらとてもドラマチック。でも海に流してたんじゃほぼ誰の手にも渡らない。が、それでよかった。そんなに都合よく自分の内面に反応してくれる、夢みたいな展開ってあるわけないや~ん、ってハアってタメイキついて、私は何考えてんだって海に石投げて、それで良かったんだよ。

それがネットが出来ていきなり確率がぐっと上がった。流してるこっちは昔も今もそう思い描くことは変わらないのに、出会える確率だけが恐ろしく上がったわけだよね。

私はそこが怖いんだよなあ。出会いのツールとして大いにあってよしと思う。でもそこに乙女チックは実際ゼロですぜ!なことがまったく共有されてないやん。

ある程度リアルでつきあった経験があったりしたら、フツーの男がこんなマメに返信するか?そんなに暇がある人ってどうなん?って自然に思えるやろうけどさ、海の小瓶少女たちには、まだそこ見分けがつかんのではないんかって、それがなんl気持ち悪くて気になるんやな~。

でも正直、やってみたいファンタジー大好きな私もいる。私ら思春期っていう一番重たいゼリーみたいな時間の中にいるわけでもあり、なんか荷物をちょっとでも持ってくれるような人とお話ししてみたいという気持ち、確かにある。

脳が大きいからこそ夢を描く、これ人間の証でもあるんではないやろか。それは絶対あかんことやろか。

かくして気持ちは引き裂かれながら、とりあえず聞いた話に2秒で”ヤメロ”とは言うたけどね。私はただのおせっかい。もう次からは教えてもらえへんカテゴリーに仕分けされてるんやろな。ママには話して、私なりの手も打った。友よ、無事生還を祈る。