HOW COLD IS A STRAWBERRY?

副題:いちご(15)の温度                                          以前住んでいた東京の友人へ送るメールの形で、学校生活中心に日々を綴る15歳のブログ。現在、京都在住。    書き始めは標準語だが、いつの間にか京都弁に変わってしまう。                        父親が娘の生活をこっそり見る気分になれる感じ。今のところ、1,200文字。

お見舞い

 こっこ、元気?

私はインフルの後、ベクトル上向きだから元気しかありえないんだけど、おじいちゃんが入院しちゃった。もう癌が全身にひろがってるんだって。それで、今までより強い抗がん剤を入れるために、病院でケアが必要になって三週間の予定でとにかく入れと。

八十八歳になるおじいちゃん、最初は薬に慣れないのか体も気分も荒れて(?)会えないみたいだったけど、ママがこの先まともに話せるか分からないというのでテスト前だけどお見舞いに行ってきたよ。大きな病院に行くのは久しぶりだから、”マスクをかけて”の張り紙があちこちにあるのに緊張した。

正直な感想を言うと、”早く帰りたい”の気分で一杯だった。

ベッドは他人と同室の一番奥で、当たり前だけどやせ細ったおじいさんがいっぱい。窓のそばだったんだけどカーテンが閉め切られて薄暗い雰囲気。おじいちゃんはベッドで体を起こしていて、何とか話は出来るみたい。でも、挨拶してからふと手を見ると、赤黒い染みみたいな模様が広がってるの。副作用ってこんなになるの?言葉が出なかった。

ものが飲み込みにくくなるからご飯もおかゆ中心で、そのせいか小さくなった肩が私よりもうんと低いところにあった。

本当はこういう時何て声をかけるのがいいんだろうね。テレビで見るみたいに花瓶の花を取り換えに廊下へ出たり、リンゴを向いたり、実際はそんな風に画面は切り替わっていかないんだよ。しんどい病人と気まずい見舞客。その間で

滅茶苦茶気を遣うおばあちゃんとママ。なんか気の利くことを口にしたいと思ったけど、今の私の人間力ではそれもまだ無理だった。いっそもっと年齢が低くて泣き出してしまえれば自分も周りも救われるかもしれないんだけど。私には、ただあの時間をじっと受け止めるしかできなかったよ。

”あんまり長いと疲れが出るから”とおばあちゃんが気を利かせてくれて、病院を出た隣のカフェでシュークリームを食べることになった。おばあちゃんはいつもここで気分をリセットして帰るんだって。

おばあちゃんもいよいよ八十五歳。自分もいつ病人になるか分からないのに、頑張ってて偉いな。病院から帰って家のあれこれ一人で片付けて、また同じように明日ここに来る。なんか強いってこういうことなんかな、と私は思う。

帰りはママと自転車で、付かず離れず家まで漕いで帰った。まだそんなに市内の地理、詳しないしな。それにしても病院まで自転車で行けちゃうってどんだけコンパクなん、京都。繁華街も公共施設も銀行も、みんな自転車で頑張れる距離。東京やったらこっからの帰路でもう一疲れするとこやなぁ。

走るうちになんかモヤモヤも晴れたけど、この距離にあるということを無駄にしんように、次はちょっと強い心で会いに来たいと思た。せめて病人に気を使わせんでいいくらいに、て。ほんまに。